プロ経営者は育成できるのか


今日、いくつかの事業構想プレゼンを聞いてもやもや考えてること。

時代を象徴するというか、人材教育的な構想が多くて、実際いろんなスクール事業全盛期なのだけれど、「経営者は育てられるのか」って、たぶんヨーダの時代から永遠のテーマ。スターウォーズに経営者は出てこないけど、似たような役割って意味で多分…

今日のプレゼンでも私も好きな松下幸之助さんの言葉が引用されてました。「経営学は教えられるが、(生きた)経営は教えられない」

ようは、自分でやれや、血を見るような意思決定を自分で必死に積み重ねないと経営なんてわかんないよーということを、もっとありがたく重み含蓄ある言葉で仰ってるわけですが、カリスマ創業者でさえそうであって、今日の構想テーマにあったような「プロ経営者育成」って、なかなかにシビアだよなと考え続けています。

私もそろそろ本気で次にバトンを渡す人を探す、というか、本当は自ら育ち名乗りを上げてもらいたくて、いろんな思いを巡らせたり試行錯誤してるのですが、プロ経営者には創業者とはまた全然違う難しさがいくつかあると思っていて。

事業を健全に成長させる、安定させる、痛みを伴う大改革やⅤ字回復させるとか、これらは乱暴すぎる言い方をすれば、ロジックとスキル・能力ででき、教えることやシミュレーションも一定できる領域で、当然プロ経営者に求められる部分。

でもたとえば、カリスマ創業者がアートな才能で人を夢中にしてきた独断を、仕組み化するプロセスで陳腐化、つまんないものになってかない熱量をどう付与してくかとか、

そもそも違う誰かが情熱と使命でもって立ち上げた場に自分が熱狂し続け、その火をまた誰かに大きく広げ巻き込むフォロー力と相反するアントレプレナーシップをどう両立させるかとか、

合理的な判断を積み重ねればそうなるわけじゃない、愛される会社のつくりかた・続けかたとか、

ギリギリまで追い詰められてるときに「創業者だから」の一存じゃなく、自分の首かけて理念や品性と利益の方向性をバランスさせるか、みたいなIntegrityや胆力って教わって身につくものなのか。

人の中にある善性というものは、人と会って交わることで開花し、伸びる余地が大きいと信じてるので、そういう人との出会いで一定の時間をかけて、自分なりに血を見るような最後の意思決定を何度も繰り返し屍積み上げても立ち上がることで、最後は強い意思の力でなるようになるよね、とは思ってるのですが、それを教育というコンテンツに落とし込めるのか。

私もまだすっきり答えは出てないのだけど、グレーなあわいで育成というテーマについて本気で試行錯誤してみます。