より豊かであたたかい次世代を祈る


このところ、友人知人経営者と話してるとぱっかり傾向がわかれつつあって。

より早く、よりたくさん資金を調達して、より強く大きくなろうとする人。

ほどよく、より少なくより豊かに、上限を決める、できるだけダウンサイズやフリーハンドにすすむ人。

私は後者で、後者の人たちと新しいお金に換わるものの模索とか、交換じゃなくギフト、恩送りとか、組織に変わる繋がりかたを夢中で議論し、日々実験するようになりつつあるのだけれど。

どれが正解でどっちがよりどうだという話じゃなくて、これらは時代に必要なパラレルワールドだと思います。

どんな美学をどういうプロセスで具現化するかの。

ただ、私は個人的に等価を交換しようという考え方にちょっともうなんとなくキツさを感じていて、付加価値を生み出し手渡す、交換に閉じない豊かさとか優しさ、楽しさみたいなものにときめいてやまないというか。

先日もひとり山を歩きながら、これからの方向性とか適正な規模感、そのために何をどこで止めて何をやらないか、そのぶん何に思いきり豊かさを注ぎ込むか、あらためて考え整理しつつ、

ふと二宮尊徳に似た考え方があったよな…と思い出して再読したばかり。

“推譲の道は百石の身代の者、五十石にて暮しを立て、五十石を譲るを云、此推譲の法は我教第一の法にして、則家産維持且漸次増殖の法方なり。”

私たちが生み出せるものは自分や関係者に閉じるのではなく、より広く誰かや社会や次世代に譲り渡す、

もっというと私たちはそもそも誰かや社会から何かを受け取っているのだから、それら恩恵を還していくことで、より豊かであたたかい次世代を祈るような。

今日はビジネスとソーシャルグッドインパクトをどう両立させるのか、みたいな話を聞いて、両立が難しいことを前提とした問い自体にふんわり違和感を抱きながら、こんなことを考える夜です。